アーティスト、束芋について

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/05/post_450a.html#c2493825

脳科学者の茂木健一郎氏のサイトで、アーティスト束芋の講義内容を聞く事が出来ました。
そんな訳で、今日はアーティスト束芋について考えてみようと思います。
まず、プロフィール。
束芋は、1975年兵庫県生まれ、1999年京都造形芸術大学卒業のアーティスト。
キリン コンテンポラリー・アワード’99で、最優秀作品賞受賞しました。
その後は、横浜トリエンナーレを始め数多くの国際展に参加しています。

彼女の作品は、日本を感じさせる手書きのドローイングで構成されたアニメーションです。その内容は、日本の社会的な状況を想像させるかのように、女子高生、サラリーマン、通勤電車などが登場します。
それらは、現代の日本を象徴する記号として作用しています。

私たちは、それらの記号を、読みとり、束芋の作品を解釈し、判断します。
彼女の作品から感じられる、現代性や批評性は、見る人の知識を前提としています。しかし、これは、束芋の作品に限られるわけでは、ありません。
美術作品を見ると言う事には、その時代、国、状況、見る人のバックグラウンド、全てが関係しているのです。
作家が意図しているかどうかに、関わらずそれらの条件は否応なく介入してくるのです。
そのような意味で、束芋は、自分の作品がどう認識されるかということに、非常に敏感な作家と言えるでしょう。それは、初期作の「日本の台所」からも明らかです。彼女は、仮説的な小屋を美術館内につくり出し、その閉じた空間の中で、自身の映像作品を展示したのです。これは、彼女が作品の見えかたを、意味的な部分だけでなく、空間的な部分からも考えているということだと思います。

単体で、作品をつくるのではなく、状況をつくり出してしまうような配慮は、日本人作家には、あまり見られません。そのような意味でも、束芋は貴重な存在であると言えるでしょう。

美術館などで、作品を見る際には、その作品だけを集中してみるのではなく、ちょっと視線をそらし、その背景に眼を向けてみたり、作品から受けた感情が、なぜそう感じられたのか、自身のバックグラウンドと関連づけて考えて見てはどうでしょうか?新たな美術の見え方が発見できるかもしれません。